うさQの妊娠・出産体験記


生活一変!妊娠発覚
ダンナ様と付き合い始めてから約半年で結婚をし、あと2ヶ月で一周年だなぁと思っていた初夏、私は体の異変に気が付いた。
そういや生理が2週間ほど遅れている。

もともと生理不順で、いつも1週間位は遅れていたのでのん気にしていたが、2週間はちょっと長いかもと思い会社帰りに近くの薬局へ寄ってみた。

生まれて初めて妊娠判定薬を買い、いざトイレへ。ドキドキしながら待つこと数分。

浮き出る陽性反応。

「ゴーン・・・・・」。

なんとも言えない気持ちとショックでフラつく。
赤ちゃんはいずれ欲しいと思っていたけど、こんなに早くできてしまうなんて・・・。しかも、ダンナ様はどんな反応をするだろう。
子供好きな人ではあるけど、まだ二人で遊びたいと言っていたし。

普段と変わらない体調で、気持ち悪さなんてなかったから、本当にこのお腹の中に赤ちゃんがいるのか疑心暗鬼だった。何度も何度も、妊娠判定薬の説明書を読み返した。やっぱり、陽性だ。

ダンナ様が会社から帰ってきたので、判定薬の結果を告げると一瞬「え?!本当?」という表情をしたが、「そ〜か〜、子供できたんだ〜」と笑顔を見せた。
その表情を見て私自身もホッとし、嬉しいような不安なような複雑な気持ちになっていた。


その頃の私の生活は、朝、都心まで電車通勤で会社へ行き、パソコンでデータ入力の仕事をし、夕方、ダンナ様と待ち合わせをして自宅近くの居酒屋でお酒を飲み、タバコを吸うのが日課になっていた。

もちろん、毎日、居酒屋へ通っていたわけではないけど、私もダンナ様も相当な酒のみで一週間のうちのほとんどを飲みに行くことも少なくなかった。
ダンナ様とお酒を飲みながら今日一日の出来事や友達の話、楽しかった話をするこの時間は酔いも手伝って、とても楽しく、私にとってストレス解消になっていた。

ダンナ様と待ち合わせをしない日は、同僚たちと会社近くで飲みに行ったり、銀座や渋谷で買い物をする。

一人の時は、カフェでコーヒーを飲みながら、窓の外を歩く人の流れを見て、いろんなことを考えながらゆっくりと贅沢な時間を味わった。

ま、待ってよ。もしかして「お酒・タバコ・コーヒー」って妊娠中のダメダメ三大原則じゃなかったっけ?

早速、本屋で「はじめての妊娠」という本を購入。

どれどれ・・・、ガ〜ン。やっぱり。「胎児に悪影響」とのこと。生活を一新させないと元気な赤ちゃんに育たないんだぁ〜・・と思い、『断酒・断煙・断豆(?!)』を決心。

決心はしたものの、生活習慣をすぐ変えるのは本当に大変だ。
どれか一つだけ止めなさいと言われれば、なんとか頑張れるのだが、一気に3つ!

この頃の私の口はいつもへの字になっていた。

・・お酒飲みたい・・ダメダメ。タバコ吸いたい・・ダメダメ。コーヒー飲みたい・・ダメダメ。イライラ、イライラ。
また、本をペラペラとめくると「ストレスも胎児に悪影響」の文字。オイオ〜イ!どないせいっちゅ〜の。

今度は無理やり心の中で「平常心、平常心。ストレスはないよーん。ニコニコ」と人知れず、頑張っていた。

こんな我慢も産めば解消されるのだ。10ヵ月の辛抱だと毎日心の中で呪文のように唱えていた。
大正ロマン?な産婦人科病院
さて、妊娠判定も陽性だったし、とりあえずは病院へ行かなくては!とネットで病院を探す。

結婚してから今の住んでいる地域へ移ったので、ここら辺の病院は詳しくないので、どこへ行ったらいいのか全くわからなかった。

ネットで探しても、いいのか悪いのかわからない口コミ情報だけだったので、お義母さんに聞くことにした。

お義母さんは、ダンナ様が産まれる前からのこの街に住んでいるので一番詳しいだろうと思ったからだ。
お義母さんは3つくらい病院名を挙げたが、中でも一番いいのはT病院だといい、しかもそこの医師はかなりの名医だという。

そこまで押すのなら、絶対にいい病院だろうと地図を頼りに自転車で病院へと向かう。

え〜と、ここの角を曲がって、この路地に入って・・あれ?? そこに見えたのは一見の古びた家・・・。い、家じゃないよ、病院だ!まさか、ここぉ〜!?

外観は時代に取り残されたような、大正とまではいわなくても昭和初期の時代ドラマなどに出きそうな、台風が来たら倒壊しそうな(←失礼な・・)感じだった。

自転車は置いたものの、なかなかドアを開ける勇気がない。
はたから見れば、望んでいない妊娠をしてしまい、中へ入って診察を受けたいが怖くてしょうがないといった感じに見られたかもしれないけど、決してそうではない。

本当にここで大丈夫なのか?

やめようか悩んだが、お義母さんにせっかく教えて頂いたところだし、やめた理由が病院の外観を見て・・とは言いづらかった。

意を決してドアを開け、中へ入る。

待合室もやっぱり大正ロマンな雰囲気だった。ギシギシと軋む床を歩き、受付をして、ちょっとカビ臭いソファに座る。
私以外、患者は誰もいない。静かに振り子時計の音だけが、カチカチと音を立てていた。

しばらくたって、看護婦さんに尿を採取してくれと言われ、トイレへ。

暗い長い廊下を歩き昔、田舎のじいちゃん家で見たようなトイレのドアを開ける。
勢いをつけないとドアの開閉が出来ない。便器は察した通り和式だった。
ひとつ良いところを挙げるならトイレの流れは勢いがよくて最高だった。

尿を採取して、いざ診察室へ。

初老のヒョロヒョロっとした医者がちらりとこちらを見る。
私は軽くお辞儀をして医者の前に座る。
その医者は淡々と、最終生理はいつだの、生理の周期はどのくらいだのと聞いてきた。私も淡々と答える。

内診台へ乗り、診察を受ける。超音波検査をした時、「確かに赤ちゃんがいますよ。ホラ」と言ってモニターを指した。
私は身を乗り出してモニター画面を見ると、医者が指をさしている先に白い小さな丸いものが見えた。

これが赤ちゃん? 私の胸の中から熱いものが込み上げてきた。え〜、これが赤ちゃんかぁ!本当にお腹の中にいるんだぁ。

診察台を降り、再び医者の前に座る。

医者が超音波検査で撮ったエコー写真を見ながら「うちはねぇ、初産の方の出産はお断りしているんですよ。診察だけはしますけどね」と言った。

「え!?」

「ほら、うちは見ての通り、私とお手伝いの看護婦だけで人手がないからね〜。初産だとお産に何時間もかかるし、人手がいるんですよ。お金もかかるし・・。6ヵ月くらいになったら別の病院を探してください。紹介状を書きますのでね」

「そーなんですか」

病院の外観を見た時から、ちょっとここで産むのはイヤかもって思っていたので、しばらく通院して別の病院を探そうと思った。
最近はこういった個人の産婦人科病院が多いらしい。

「お酒は飲むの?」

「あ・・はい・・。やっぱり飲んじゃいけませんよね・・」

ちょっと医者は苦笑しながら

「う〜ん。知り合いの女医で妊娠してからも相変わらず毎日のように飲んでいて大丈夫かなって心配したけど、大きくて元気な赤ちゃんを生んでたなぁ。アハハハ」

私も、へぇ〜という表情をしながら少し笑った。なんか思っていたより話しやすくて感じのいい先生だなぁと思った。

病院を出て自転車で帰り道を急いでいると、なんか胃がモヤモヤとスッキリしない感覚に襲われた。
も、もしやこれがつわり!?
つわりでブルーな日々
中学生時代、産休明けの家庭科の先生が
「つわりは遺伝するらしいから自分の母親にどうだったか聞いてごらん」と言っていたので、母親に聞いたことがあった。

母親は「つわりは軽かったよ。ちょっと気持ち悪い程度だったね」と言っていた。
私は安心して、なら妊娠してもつわりは軽いんだと思ってきた。

しかし、気持ちが悪い。何をしてもどこにいてもムカムカと口の中の不快感がある。
例えるならひどい二日酔いがずっと続いている感じだった。

二日酔いなら半日寝ていれば治るけど、寝ても覚めても気持ちが悪い。

スーパーへ行っても果物売り場は大丈夫だけど、精肉・鮮魚売り場は息を止めて走り去りたいほどだった。においを嗅いだだけでも「オエッ」とこみ上げてくるものが。

ほとんど品物など見ずにカゴの中へ肉のパックを放り込む。
魚は触るのもイヤだった。

キッチンへは気持ちが悪くて、長時間立っていられない。
テレビのCMや番組で食べ物が映っただけでも「オエッ」となって、咄嗟にリモコンを探してチャンネルを変えた。

き、気持ちが悪い・・・。だ、誰だぁ〜、パーマ液を使った奴はぁ〜、臭くて気持ちが悪いよぉ!って誰も使っていない。
鼻もなぜかおかしくなって、どこにいてもパーマ液のようなツーンとしたにおいが離れなかった。
口の中もザラザラとした不快感がある。

食事はといえば、お腹は空くけど食べたいと思わない。
唯一食べれたのは、果物類だった。
毎日、毎日、果物の盛り合わせしか食べれなかった。

ダンナ様の夕食はほとんど手抜きで、肉を焼いただけーとかお惣菜を皿に盛っただけの料理が食卓に並んだ。
申し訳ないけど、今の私は味覚もおかしくなっているし、買ってきたお惣菜の方がおいしいのよぉと言って我慢をしてもらった。

一番困ったのは、通勤の電車だ。
座れればラッキーだが、だいたい混んでいて座れない。
気持ちが悪くなって、何度も途中下車し、ベンチに座りちょっと良くなったら電車に乗り込むというのを繰り返す。

普通、45分の通勤時間が1時間半くらいかけることもあった。

いつまでこんな状態が続くのだろう・・・。
ある知人の話だと出産まで続いたという。つ、辛い・・・。

母親に電話をし「ねえ、お母さんのつわりは軽かったって言ってたよね?私は毎日気持ちが悪くてしょうがないんだけど・・」と言うと「ああ。お母さんも気持ち悪かったよ。私が軽いっていったのは、ひどい人だと入院しちゃうぐらい大変らしくてその人に比べれば軽いなぁと思ってね」。

確かに入院しちゃうぐらい重いつわりの人よりは軽いかもしれないけど、これだって充分辛い!!

それを軽いと言えちゃうのだから、さすが昭和初期生まれ。
大変な時代を生き抜いてきただけあるなぁと感心したが、あとから思えば母親はずっと専業主婦で、しかも、普段からほとんど家事をしないでゴロゴロと寝ている人だったので、そんなに感心することでもなかった。

しょうがない、こうなったらいつかは終わるつわりを受け入れて、なんとか過ごすしかない。
私は、つわりが治まるまで仏像のように無表情で悶々とした日々を過ごした。

会社の同僚たちもそんな私に「大丈夫?」と声をかけるのもかわいそうと思っていたようだった。

余談だけど、友人の話でつわりの最中に冷麺を食べたら治まったという人がいたので無理やり食べたが全く治まらなかった。う〜む。
無痛分娩がいい!!
妊娠雑誌を読むようになってから出産への恐怖心が次第に強くなってきて、毎日「どの位痛いのだろう」と考えるようになっていた。

私はもともと、痛みにかなり弱い方で、しかも我慢強くない。ちょっとの頭痛でもギャアギャアと騒ぎ周りに心配をさせる。

こんな私が『死ぬほど痛い』と言われる出産の痛みに耐えられるのだろうか。いや、無理だ。だって、本当に怖いんだもん。

ふと「無痛分娩」という言葉が浮かんだ。そういえば、母親が当時にしてはまだ珍しい無痛分娩の体験者だった。
私と2番目の兄を無痛分娩で出産したと前に聞いたことがあった。

「なんかねぇ、お花畑にいるみたいに頭がポーっといい気分になってたら生まれたって感じだったね。あれは良かったよ」

これだ!私に合っている出産方法はもう無痛分娩しかない。

早速、無痛分娩を行っている産院を調べるが、すごく数が少ない。
アメリカでは常識になっている無痛分娩は、日本ではまだまだ定着していないようだ。

日本の風習(?)で「痛みを耐えて産む」ことが美化されているので、あまり無痛分娩を受け入れていないのだろう。

確かに自然な状態で出産をするわけではないし、麻酔をして人工的に手を加えるから危険性がないとは言えない。
本来、女性は出産に耐えられる体なのだから、わざわざ陣痛を回避しなくても、たぶん無事に産める。大昔からくり返し、くり返し女性は自分の力で出産をしてきた。

でも、恐怖が毎晩襲ってきて眠れない。この頃の私は、痛みをどうやって回避できるのかしか考えていなかった。

案の定、私の周りの友人や知人らに「無痛分娩がいいんだよね〜」と話をしたら「お腹を痛めて産むから子供が可愛いんじゃないの?」とか「女性として生まれたからには一度はその痛みを体験してみた方がいいよ」とか言われた。

う〜ん、そうかなぁ。

ある男友達は呆れた顔で「あんたはすぐそうやって嫌なことから逃げようとする。俺がダンナだったら絶対にダメだと言うけどな」とため息をつきながら言われた。

な、なにを〜!男の人もそういう意見か・・・。

結局は、ダンナ様に言われた「もし本当に怖くて仕方がないのなら無痛分娩を選択しても構わないよ。だけど、麻酔を打つわけだし、安全性の心配もあるし出来れば自然に産む方を考えて欲しいな」と言われ、やっぱり自然分娩がいいのかなと思い直した。

でも、出産をした今でも無痛分娩に対して悪いイメージはない。

陣痛が怖くてストレスを溜めながら毎日を過ごすよりは、こういう出産方法もあるっていう選択肢があって、自分に合った出産方法を選ぶことは悪いことではないし、もし友人が無痛分娩をしたいと言うのなら「いいんじゃないの」と言うと思う。
ピクピク・・・もしや胎動!?
妊娠も5ヵ月に入り、相変わらずつわりで苦しむ日々を過ごし、そして大正ロマンな病院へ通っていたある日。

病院で診察を受けていると、先生は赤ちゃんの心音を聞くという装置をセットし、私のお腹に機器をあてる。

診察室内に響き渡る「ドクッドクッドクッ」という速く力強い心音は、元気ですくすくと赤ちゃんが育っているのだなと感じさせてくれた。

と、その時、看護婦さんが「先生、トイレに患者さんが閉じ込められました」と報告に来た。

私は内心、え!?と思いながら、確かにあのトイレのドアは勢いをつけないと開閉しなかったしドアノブもとれかかっていたなぁと思った。

先生はおもむろに机の引き出しからゴソゴソと長い定規を取り出し、私に「すぐ戻るから待っててね」と言い残し急いでトイレへ向かった。

ドアを開けるのに定規?どうやるの? ドアが開かないと聞いて、すぐに定規を取り出したところを見ると開かなくなったのは一度や二度じゃなさそうだ。気をつけねば。

しばらくすると先生は大慌てで診察室へ戻ってきて「今回はダメだ」と言い、小さい電動ノコギリのような工具を持って再びトイレへ。

私は仰向けになってお腹を出したまま先生が戻るのを待つ。

「チュイ〜ン、ガリガリガリガリッ」という音が病院内に響く。

オイオイ、ここはどこだい!?いつまで私はこのままで待っていればいいのかしらん?と不安になった時、看護婦さんが来て「今日は一通り診察しましたよね? もう待合室の方へ行ってもいいですよ」と言った。

やれやれと思いながら待合室の方へ行くと、診察を待つ患者らに看護婦さんが「患者さんがトイレに閉じ込められてしまって、今、先生がドアを開けているので時間がかかります」と説明をしていた。う〜ん、なんだかなぁ。

家へ帰りベッドの上にごろんと仰向けになった。今日も会社へ行って、病院へ行って疲れたなと思っていると、下腹部の方にピクピクと何かが動く感覚があった。

「あ、胎動だ〜!!」。

下腹部に手を当て、じっと待つ。ピクピクッ。「うわぁ〜!赤ちゃんが動いている〜」。またまた熱いものが胸にこみ上げる。元気に動いているんだ。なんか可愛いな〜。

胎動を感じないとつわりだけの辛い日々だったけど、こうやって感じると何ともいえない嬉しさと頑張ろうという気持ちが湧いてくる。私のお腹には、もう一人の人間が生きているんだなと実感させられた。
マタニティドレスはイヤ!着る服がな〜い
だんだんとお腹もふくらみ始めて、今まではいていたジーンズやパンツのチャックがとうとう上がらなくなった。

タンスの中身を引っ張り出していろいろと試してみるが、どれもはけない。困った・・。私もあのマタニティドレスを着なければいけないのか。

い、いやだ・・・。

そんなことを言っている場合ではないのだけど、どうしても抵抗がある。
だって可愛くないし。私は赤ちゃんの母親でもあるが、女でもある。
ましてや都心へ電車で出向くのにマタニティドレスを着たくない。

確かにマタニティドレスを着れば、周りは「妊婦さんなんだな」と気づいてくれて、電車では席を譲ってくれるだろうし、すれ違う人もぶつからないように配慮をしてくれるかもしれないというメリットがある。
でも私自身、どうしても着たくないのだ。

これは、ちょっと大きめのサイズの服を買うしかないと会社帰りに買いに行く。
いつものサイズより2サイズアップくらいのジーンズを手に取り、試着室へ。

う〜ん・・・。

お腹はピッタリだけど、これだとすぐにはけなくなってしまう。
店員さんを呼び、もう1サイズ大きいジーンズを頼む。
店員さんはちょっと不思議そうな顔でジーンズを持ってきてくれた。

早速、試着する。
だ、ダメだ〜。お腹はいいのだけど、足の部分が大き過ぎてダブダブだ。これじゃあ、妊婦に見えなくてもただのおデブちゃんだ。

ジーンズは腰ではくとは言うけれど、今の私は腹ではくと言った感じなので全くサイズが合わない。断念。

フラフラと家に帰って、妊婦雑誌を読む。やっぱりマタニティドレスなのかなぁと思い、ふとページをめくるとマタニティ用のジーンズが掲載されていた。

「おお!いいじゃ〜ん!」。

私は食い入るように雑誌を見る。
そのマタニティ用ジーンズはお尻から足にかけてはデニム素材なのだが、お腹の部分だけゴムが入った布で出来ていた。

しかも、すっぽりとお腹の部分を包んでくれている。お腹の大きさに合わせてウエスト部分のゴムで調節が可能とのこと。こんなジーンズがあったのかぁと私は感心した。

早速、買いに行きたいと思いジーンズのメーカーを調べると、なんと私が以前から好きなメーカーの姉妹店だった。
おお、なんてこったい!灯台下暗し〜〜!嬉しい〜!!

次の日、意気揚々と店へ行く。商品棚にはマタニティ用のジーンズやハーフパンツ等がたくさん並んでいる。しかも、どれも今流行っている服のマタニティバージョンだ。

これ!これを望んでいたんだよ!!

少し値段が高いが、私は目をキラキラさせながら服を選び購入した。

マタニティ用ジーンズをはいていくと、みんな口々に「へえ〜、今はこんないいジーンズがあるのかぁ。私も妊娠したら買おう」と言っていた。ムフフ・・。
ホルモンの影響か?とにかくみんなムカつく
つわりが治まりかけた、妊娠6ヵ月あたりから私は異常なまでに周囲の人間に対して冷たくなっていた。

朝、会社へ行き机の前に座る。
「おはよう」と同僚の女の子が声をかけてくる。いつもなら、「はよん!今日は雨だったから裾がビショビショだよ〜」等と一言二言、言葉を交わすのに最近は振り向くのも嫌だ。

でも、それじゃいけないと思い無理やり笑顔をつくって振り返り「おはよ」と言う。

再び、前を向き仕事の準備をするが、なにか話そうとまだ横に立っている同僚を横目で見て『てめー、いつまで突っ立ってんだよ!早くあっちへ行け!』と心の中で思ってしまう。

別に嫌いな子じゃないし、どちらかと言えばいつもギャグを言い合ったりして笑いあう間柄なのに、どうしてもこういう気持ちが湧いてくる。なぜだ??

お昼は同僚の女の子たちと昼食をとるのだが、話の内容が恋愛の相談などになると真剣に悩んでいるその子に「へぇ〜、自分が悪いんじゃないのぉ?」と嫌な顔をしながら言い放つ。
みんな一瞬、ぎょっとした表情になる。とんだ性悪妊婦だ。

前までの私は、相談を受ければ自分もその子の気持ちになって「かわいそうに。こうしたらどう?」とか「ああしてみなよ」とか言っていたはずなのに・・。

いつも家に帰り、落ち込む。
ダンナ様に今日あった出来事を話し、泣く。そして、明日は落ち込むことがないように気をつけようと思うのだが、会社へ行くとまた同じように悪態をつく。悪魔だ・・。

みんなも、なんか変だと思い始めているようだし、このままじゃいけないと思い正直に自分の気持ちを打ち明けた。

「ごめんね。どうしてもイライラして嫌なことを言っちゃうんだよ。自分でもよくわからないんだ。本当にごめん!」。

みんな優しかった。「妊婦って大変なんだね」、「よく頑張ってるね」と言ってくれた。

この時期は、散々、周りの人たちを傷つけたし嫌な思いをさせてしまったのに、今だに友達として続いている。なんていい子たちなんだ、ウルウル。

周りの人に悪態をついてしまうのもホルモンの影響なのかな、よくわかんないけど。

そういえば、うちで飼っていた犬も妊娠をしたらいつもは仲のいい犬に牙を剥いていた。人間にも奥底に動物的本能があるのかもしれないなぁ。
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