育児と弁当な日々 |
赤ちゃんは2時間おきにおぎゃおぎゃと泣いて、ミルクを欲しがる。 夜中も朝も関係ない。 ね、眠い〜・・。 私も、夜中なんだか朝なんだかわけがわからない状態だった。 まとめて寝たいのだけど、2時間経つとおぎゃあと起こされる。 ミルクをあげて、オムツを替えて寝かせるの繰り返しだ。 この頃の食事は、全くご飯を作る気にはならなかったし、買い物へ行くにも体が思うように動かないのでダンナ様が帰りにお弁当を買ってきてくれていた。 毎日、お弁当を食べていた。 洗濯は2日に1回し、部屋の掃除は1週間に1回程度であとはほとんど赤ちゃんの隣で横になっていた。 ず〜っと家の中で赤ちゃんと一緒にこもった生活を2ヵ月近く過ごしていた。 なんだかんだ言ったって実家に帰らずとも出来るもんだ。 いちいち、家事をしなくちゃと思わなければ、ほとんど動かずに済む。 少しくらい部屋の中が汚れたって、あまり気にしないようにしていた。 ただ育児の疲れがピークになっていた。 慣れない赤ちゃんのお世話とマタニティブルーも手伝って、本当に泣けてきた。 何で赤ちゃんが泣いているのかさっぱり分からない。 ミルクもあげたし、オムツも替えたし・・なんで泣いているの?シクシクシク。疲れた・・。 赤ちゃんは可愛いけど、一人になりたくて、思いっきり眠りたくて、外へ出たくてしょうがなかった。 いつまでこんな状態が続くのだろうと、毎日考えていた。 たぶん今思えば、赤ちゃんに対して必死になり過ぎて、母親を意識し過ぎてたんだね。 赤ちゃんを泣かせないようにと思って四苦八苦していたけど、赤ちゃんは泣くものなのだ。 ちょっとぐらい泣いても「いい運動だ」ぐらい思っていれば心も軽くなる。 その余裕がなかった。 まぁ、心配せずともいつの間にかブルーも消えていて、余裕も出てきて楽になるんだけど、この時は、暗闇の中での手探り状態で大変だった。 約2ヵ月、家の中にこもっていたから、気づかなかったがいつの間にか春になっていた。 |
突然の発熱 まさかの入院 |
いつものように朝起きて、赤ちゃんにミルクを与えオムツを替えて一息ついた。 赤ちゃんはご機嫌で、布団の上で「アウアウ〜」と言っておしゃべりをしていた。 会社へ行くダンナ様を玄関まで見送り、赤ちゃんを抱っこして寝かしつけた。 さ〜て、今日は部屋の掃除をするぞと思い、掃除機を出して赤ちゃんが眠っている部屋の隣の部屋を掃除する。 掃除機をかけ終わった時、隣の部屋から「う〜ん、う〜ん」と、うなり声が聞こえた。 あれ?起きちゃったかな。 そーっと赤ちゃんが眠っている部屋を覗く。赤ちゃんは目を閉じたまま、うなっている。 最初は夢でも見ているのかなと思ったけど、なんかちょっと様子がおかしい。 赤ちゃんを抱っこする。ちょっと熱い。まさかと思い熱を計ると38度あった。 うわ、どうしよう。育児書を読んだ時、だいたいの赤ちゃんは生後3ヵ月くらいまで、母親の免疫があるので発熱はしないと書いてあった。 でもうちの赤ちゃんは今2ヵ月ちょっとだ。 慌てて近所の小児科病院へ連れて行く。赤ちゃんはぐったりとして、目を閉じたままうなっていた。 先生に診察してもらうと、先生の表情が曇った。 「誰か車で病院へ連れて行ってくれる人がいますか?」と聞かれ、そういえば今日、弟が赤ちゃんを見に車で来ると言っていたことを思い出す。 「はい、弟が車で来ます」と言うと、「紹介状を書くから大学病院へ行ってください。生後2ヵ月の発熱はちょっと心配ですから、すぐに大きな病院で検査をした方がいいですよ」と言った。 ええー?そんな大変なことなの? 私は紹介状をもらい、到着した弟の車に乗り込み大学病院へと急いだ。 大学病院に到着し、小児科の先生に診察をしてもらう。 熱を計り、血液を採取し、尿検査をし、レントゲン検査をして結果を待つ。 気がついたら日が暮れていた。赤ちゃんの熱も下がっていて機嫌も良くなっていた。 ようやく検査結果が出たが異常は見当たらないと医師に言われた。 私はホッとし、じゃあ帰ろうと思ったら、「発熱の原因はわからないので一応入院しましょう、部屋も個室を用意しました」と医師が言った。 私は驚いて「え、入院ですか? 家で様子を見るということはできないんですか?」と聞くと「もし、家に帰ってまた発熱したらすぐにここに来てもらうことになります。この発熱が菌による感染の熱だったら、乳児の場合、体中に回るのが早くて手遅れになることもあるんですよ」と言われ、 「じゃあ、一度家に帰って準備をしていいですか?」と聞くと 「いえ、家族の方に入院の準備を持ってきてもらってください。うちは完全看護制度ではないのでお母さんは赤ちゃんから離れないでください」と言われた 。 そ、そんな〜・・。 とりあえず、ダンナ様に電話をし、入院の準備を持ってきてもらうことになった。 医師に入院をする小児科の病室へ案内してもらう。 私は少しパニックになっていた。 赤ちゃんは朝までいつもと変わらず機嫌が良かったのに、突然熱を出し、病院で検査をして入院することになるなんて。 病室で眠っている赤ちゃんを抱っこして椅子に座っていると、女医さんが入ってきた。 「私が担当させていただくことになりました。よろしくお願いします」。 ニコニコとした感じのいい女医さんだった。 私もペコっと頭を下げた。 「眠っているところかわいそうですが、もう一度、検査をしたいので赤ちゃんを検査室へ連れて行きたいのですが」と言われ、赤ちゃんを女医さんに預けた。 さっきもそうだったのだが、赤ちゃんの検査をする時、母親は退室させられたり、赤ちゃんから離れるよう指示される。 きっと赤ちゃんが泣いたりすると、母親の感情でいてもたってもいられない気持ちになるからだろう。 しばらくすると、ギャアギャアと赤ちゃんが泣く声がする。うちの子だ。 検査室はこの病室からちょっと離れていたのだが、ここまで泣き声が聞こえる。 私は立ち上がって、うろうろと病室内を歩く。ずっと泣き声が聞こえる。 かわいそうに・・。 ソワソワしてどうしても落ち着かない。いたたまれなくなって病室を出て、病院の外へ出る。 外は真っ暗で、道路を走行する車の音が聞こえた。ここに赤ちゃんの泣き声は聞こえない。 少しホッとする。 しばらくして、病室へ帰ると検査を終えた赤ちゃんが看護婦さんに抱かれていた。 腕には点滴の針が刺さっている。赤ちゃんの目は泣き腫らして真っ赤になっていた。 腕に血液検査をした時に貼られたバンソウコウがいくつもあった。 赤ちゃんを抱っこしたらポロポロと涙が出てきた。 かわいそうにこんな小さい腕にいくつも針が刺さって・・どうしてこんなことになったのだろう。 赤ちゃんは泣き腫らした目で私を見つめる。私は赤ちゃんを抱く腕に力が入る。 「痛かったでしょう。ごめんね。早く帰りたいね」。 入院の準備を持ったダンナ様が病院に到着した。 私はダンナ様の顔を見たとたんまた涙がこみ上げてきた。 ダンナ様も突然のことで少し動揺しているようだった。 女医さんの説明だと、血液や尿の精密検査の結果が出るのは2日後で、その後にも赤ちゃんの体の検査をしたりするので1週間ぐらい入院することになるという。 赤ちゃんに万が一のことがあったら怖いから仕方がない。 どこも悪くなければいいけど・・・。 1週間、私も一緒に病院へ泊まることになった。 |
こわ〜い・・・病院での怪奇現象!? |
入院する病室は個室で、ちょっと古く、壁や天井にシミのようなものがいくつもあった。 不謹慎だけど、よくテレビである怖い話に出てくるような感じの病室だった。 私は異常なほど怖がりで、あまり意識をしないようにしているのだけど、つい「パキッ」とかテレビの裏から音がするとビクビクしながら見てしまう。 消灯の時間になり、ベッドに取り付けられている電気スタンドだけつける。 これは、回診に来た看護婦さんや医師が赤ちゃんの顔色をすぐに見れるようにということだ。 私は赤ちゃんの隣に横になり、疲れていたからかすぐに眠ってしまった。 夜中に赤ちゃんの泣き声で目が覚める。お腹が空いたのだなと思い添い寝をしながらおっぱいをあげた。 そのまま、ウトウトとした時、スススススーとドアを開ける音がする。 私は薄目を開けてドアの方を見る。 一瞬、心臓が凍りそうになった。 白い2つの物体が病室へ入ってこようとしているではないか。 ビックリして飛び起きると、「あ、起こしちゃった?ごめんなさい。寝てていいですよ」と白衣姿の医師と看護婦さんが言った。 回診で赤ちゃんの様子を見に来たのだ。ビックリしたぁ〜。 夜中、医師や看護婦さんは気を遣って、そぉ〜っと病室へ入ってくるのだが、その動きが暗闇の中だと非常に怖い。 しばらく心臓はドキドキしてその後、なかなか寝付けなかった。 夜がくる度に、同じ光景に出くわし、寿命が10年は縮んだと思われる・・・。 というか、いちいち私も驚きすぎなのだが、本当にその場面は怖かったんだよ〜! |
なにより嬉しい退院 |
赤ちゃんの体に異常は見つからず、検査結果も良好で7日目に退院することになった。 赤ちゃんが無事で本当に嬉しかったし、やっと家へ帰れる。 私は退院の準備を終え、迎えに来た両親と一緒に病室を出る。廊下を歩いていると、ドアが開いている病室があった。 ああ、ここの子はちょっと重い病気を持った女の子(たぶん小学4年生くらい)の部屋だ。 いつもお母さんが病院に泊まりこんでつきっきりだった。 女の子は呼吸用の長い管を首につけたままベッドから動けない。 私はたった1週間の入院で参っていたのに、この子はきっと退院もまだまだ先なのだろう。 もしかして退院できないのかもしれない。 世の中にはいろいろな病気や障害を持った子供たちがいる。 普段、家の近所にしかいない私は、そういう子たちと会う機会がなかった。 入院生活を振り返って、いろいろな子供たちに会った。 廊下を何回も点滴の管をつけたまま歩くパジャマ姿の男の子や治療の度に大声で泣いている子、一人でベッドに座ってずっと本を読んでいる女の子、ベッドに寝たきりの子も。 夜中になると、あちこちの病室から泣いている子どもの声が聞こえた。 この先、私の赤ちゃんもいつそうなるか分からない。 ただ、今日、退院できるということは本当に幸せなことなのだ。 病院から出て、家に帰れるということは。 何気なく過ごしている毎日は、とても貴重な毎日なのかもしれない。 健康でいられることは本当にありがたい。 家に帰って、ダンナ様と赤ちゃんの笑顔を見てホッとした。 入院前と変わりない部屋、赤ちゃんの布団やいつもの哺乳瓶も愛おしくてしょうがない。 マタニティブルーになったり眠たくても眠れなかったり、赤ちゃんが泣き止まなかったりと大変な日々だけど、赤ちゃんが元気ですくすく育ってくれていれば、後で「あの時は大変だったのよ」と笑える話になるだろう。 入院を経験して、そういう当たり前なことがわかった。 これからは一日一日を大切に過ごそうと思った。赤ちゃんにも惜しみなく愛情を注いでいこう。 |
とにかく毎日ベビーウォーカー |
ま、まずい・・・。出産から3ヵ月以上経ったのだけど、一向に体重が戻らない。 結局、出産まで15kg近く太ってしまったのだ。 出産後、9kgは減ったのだが、あと6kgがなかなか戻らない。しかも、妊娠前のデニムパンツやズボンがどれも履けなくなってしまった。オーマイゴットォ!! なので悲しきかな、出産後もマタニティ用のパンツを履くしかなかった。 ど、ど、どうしよう・・。 よく、「出産後太っちゃって戻らなくなっちゃったのよ」という話を聞いていたけど、自分もその道を歩きつつあった。 うちのダンナ様は厳しい方で『化粧をしない・太る・だらける』は女として怠ってきている証拠だと思っている。 あとは、おばちゃん街道まっしぐらだと思っているようだ。 妊娠前までは、私もそれなりに体重に気にし、化粧や洋服にも気をつけていたけれど、妊娠を期に「そんなの後回しだ」と思い始めていた。それどころじゃなかったし・・。 でもとうとう「いつ元の体重に戻るの?」と言われてしまった・・・。 すっかり育児で頭がいっぱいで忘れていたのだ。 「君が太ろうが、おばさんになろうが僕の愛は変わらないよ」と言ってくれるダンナ様を選んでいれば、ずっと忘れていただろうけど、厳しいダンナ様と知ってて結婚したのだからダンナ様の愛が冷めぬよう努力をするのが私の役目。 さて、どんなダイエットをしようか・・。 母乳をあげているから食べないわけにはいかない。激しい運動も無理。 だったら買い物がてらに歩くのみ!! 毎日毎日、母親に買ってもらったベビーカーに赤ちゃんを乗せて2駅先まで歩く。 初夏の頃は風も爽やかで、いい気分になりながら歩いていたが、夏になると地獄だった。 ベビーカーを押しながら炎天下の中、汗だくだくで歩く。 いつも2時間近くは歩いていた。 背筋をのばし、歩幅を広めに、骨盤が動くよう意識しながら歩くのがウォーキングの基本。 だらだらと歩くと同じように2時間歩いても消費カロリーも違うし、変なとこの筋肉を使ってしまい、プロポーション的に悪くなる。 ウォーキングというのは、スポーツの中で一番地味だけど、とても効果がある。 20分歩き続ければ、歩き終わってもしばらくの間、脂肪を燃焼し続けてくれる。 おかげで2ヵ月で4kg、体重を落とすことに成功した。 でもあと2kgが、どうやっても戻らない。 もう必死に歩いても、一時は減るのだが食事をするとすぐに戻ってしまう。 友人の話で、どうしても元の体重に戻るのに3kgがなかなか減らなくて諦めていたら、インフルエンザにかかってしまって死のふちを彷徨ったら戻ったと言っていた。 インフルエンザの季節まで待つか・・。 |
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